You Send Me
三宅唱
タクシーを撮るとはどういうことか。流れる車窓だとかカメラを向けたくなるところはいろいろあるけれど、ひとまずは「後部座席をどう撮るか」と言い換えることから考えてみよう。まずは物理的に、カメラに映るのは全身ではなく上半身に限定され、バストショットサイズもしくはクロースアップになる。つまり、タクシーシーンは顔のショットがメインになるはずだ。顔を捉えるカメラポジションは大まかにいって正面か斜めか横か、あるいは窓外か。そしてヘア&メイクや衣装はどうするか、そのあたりもこのフレームサイズならではの気合いが入るところだ。
どう撮るかと書きはじめたが、なぜ撮るのかということもここから逆算できると思う。きっと、顔が撮りたいからタクシーを撮るはずだ。それも、タクシーという空間でしかみることができないような顔を、できれば。
そうでなければタクシーシーンなんて、狭いし(なんなら車体を半分にぶった切ったような形をした撮影用の特別車両を用意したりするわけで)、照明組みづらいし、エンジン音もうるさいし、とにかく面倒くさい空間であって、もし単に移動表現のためだけなら、走る車体を外からロングで撮るか、車窓の実景だけで十分ということになる。だから、映画のタクシーシーンとはわざわざ撮られた場面であり、それゆえに豊かな演出を楽しみやすい場面である。まあ、どんな場面だってわざわざ撮るわけだけど、特に。
キャメロン・ディアス演じるある女性がカリフォルニアを離れてロンドンでクリスマス休暇を過ごすというロマンティック・コメディ『ホリデイ』(ナンシー・メイヤーズ)の終盤のあるシーン。彼女演じる「泣けない女」がようやく涙を流す、というのがこの物語の一つのピークなのだが、この映画の作り手たちはその場面をタクシーに設定した。
彼女がいよいよロンドンを離れるとき、タクシーの後部座席に座る。彼女は車窓に目をやりながら、首に巻いていた白いストールを外す。Vネックの白いセーターだったか白いシャツ(とにかく白い服ばかりだった)の前が大きく開いているのが目に入る。この場面までずっと、彼女のメインの衣装は分厚いロングコートだとかセーターだったこともあり、ストールを外すというごく日常的なアクションが、なんだかものすごく大きなことが始まるきっかけのようにもみえる。
白いストールを外して息を整えようとしているうちに、彼女の顔が徐々に崩れ、目から涙がゆっくりと溢れてくる。そこから号泣してシーンが終わるならば単に離別の涙なのだが、「泣けない女」は、ようやく泣けたという嬉しさで思わず笑う。頬が緩んだ勢いでどんどん涙が溢れ出て、もう笑っているんだか泣いているんだかよくわからない、言葉では表せない、みたことのないような顔になる。そんな顔でガッツポーズまでするキャメロン・ディアスはやっぱり最高で、そんなスペシャルな一連をほぼ1カットで正面から捉えているナンシー・メイヤーズとこの映画を好きになった。彼女のこの顔は、きっと部屋や道端では顕れないもので、タクシーという空間でしかみることができないようなものだと思う。
考えてみれば、「ふと一人きりになる場所」としてタクシーがあり、それゆえにタクシーは隠れた感情が露わになる場所として、ロケ地に選ばれるのだと思う。また、タクシーは「二人きりになる場所」でもある。いくらでも映画の例はあると思うが、例えばデートの前後の場面、タクシーの後部座席に座る二人がどのように距離を詰めたり置いたり、どのように言葉を交わすのか。あるいはどのように無言の時間を共有するのか。
いやいや。「一人」とか「二人きり」とか書いたが、嘘だ。必ず運転手がいる。
でも、「自分の部屋で一人きりで泣く人物」と「タクシーの後部座席で一人きりで泣く人物」なら、どういうわけかタクシーの方が「一人きり」の感じがするのだが、どうだろう? そして、なんだかこの違いが、映画というフィクションの秘密に関わっているのだとしたら、どうだろう。
「自分の部屋で一人きり」という場面で、その人の秘密の感情を、それもリアルに撮ろうなんて、映画撮影の嘘に無自覚な行為かもしれない。はたして現実において、部屋で一人で泣いている人にカメラを向けられるものだろうか? よほどの信頼関係か、極度の無神経さか、なにかが必要だ。では、タクシーの車内で運転手がいることを承知で泣いている人物ならどうだろう? もしも運転手のような存在としてカメラがあるならば、同じ空間にいることが許されるかもしれない。と考えるのは映画の作り手の傲慢さか。
『ホリデイ』のその場面でも、タクシーの運転手はちゃんといる。キャメロン・ディアスと会話をするし、彼女がストールを外した瞬間にバックミラーで確認しもする。泣き笑いする彼女の事情なんか全く知らない運転手は、「おかしい女を乗せっちゃったなあ」というリアクションすらしている。それがいいのだ。なんだか、そんな運転手こそがこの場面を映画たらしめているというか、運転手がいるからこそカメラも観客も彼女のそんな局面に立ち会えているのだ、と考えてみたい。
この映画のとある場面で、アレサ・フランクリンがカバーした「You Send Me」が流れる。多幸感溢れるこのシークエンスは忘れられない。タクシーの場面に流れるわけではないが、例えばカーラジオからこんな曲が流れたらと想像して、とてもハッピーな気持ちになった。
三宅唱
1984年北海道生まれ。主な監督作は『きみの鳥はうたえる』(2018)、『密使と番人』(17)、『THECOCKPIT』(15)、『Playback』(12)、『やくたたず』(10)。他に「無言日記」シリーズ(14~)やビデオインスタレーション「ワールドツアー」(18)などがある。最新作は『ワイルドツアー』(2019年公開予定)。新作準備中。