十五才 学校IV
折坂悠太
先日ライブで鹿児島に行った。帰りに鹿児島空港の出発ゲートで、屋久島の観光促進の看板広告をみた。縄文杉が大きく写っていて、それらしいコピーなんかついていたと思う。僕はとても地理に疎いので、屋久島がどの辺りにあるかなんて知る由もなかった。屋久島てこっちか。足を伸ばせばよかったかな、なんて考える。子供の頃から、行ったことのない場所に行きたいと思ったことがない。もちろん好きな場所はたくさんある。そこに居た記憶や実感からしか場所に惹かれることがないから、ライブで初めての地へ行く前はドライな気持ちで、あまりのモチベーションの低さに戸惑うことも多い。そんな自分がなぜ屋久杉の看板をみただけで「足を伸ばせばよかった」などと軽く思えたかというと、そこにはどこかしらで得た、その地の記憶、実感があるからなのである。
2000年公開、山田洋次監督「十五才 学校IV」という映画がある。主人公は中学三年生の少年・大介で、半年ほど不登校生活をしている。家出をして、話に聞いた縄文杉を目指すという物語だ。公開当時、僕は十歳で、一年ほど不登校していた時期だった。
特に原因らしいこともないが、朝が来るのが憂鬱でしょうがなかった。毎朝続く母と僕の攻防を見かねた父が、母を説得したのを機に、学校へ行かなくなった。明るい時間は家から外に出ないプチ引きこもり状態で丸一年たったあと、母が地元のフリースクールを見つけ、そこに通い始めた。それがちょうど映画が公開されたのと同じ時期だった。通っていたフリースクールや、地域の不登校児を持つ親の会などで、たしか割引券か招待券なんかも配られていて、地元の映画館に観に行った記憶がある。
主人公大介を演じるのは金井勇太。同じ「ゆうた」なのもなんとなく嬉しくて、スクリーンの中で起こる物語に、自分の旅を肩代わりしてもらっているような気持ちになっていた。この文を書くために久々にこの映画を見ると、大介はかなりアクティブで行動派な少年で、自分や、当時周りにいた不登校の友人たちとは重ならず、自分の中でのリアリティには少しかけるが、それでも当時は、自分たちの陥っているしんどさを主題に選んでもらえて嬉しかった。
撮影は近年の山田洋次作品で常連の長沼六男。画の質感になんというか、日本の西へ向かうとき特有の湿っぽさのようなものがあって、寄る辺ない不安や寂しさを表しているようだった。山田洋次監督は「男はつらいよぼくの伯父さん」でも吉岡秀隆演じる満男に、好きな子を追いかける一人旅をさせていた。この学校IVにおいては、あては女の子ではなく縄文杉で、満男はバイクだけど大介は身一つだし、もっとシリアスで寂しい旅だ。そういえば寅さんも家を飛び出たのは16歳で、大介と同じような年頃だ。満男よりも大介の方が、時代も状況も違えどフーテンの旅に近い。
主人公は九州方面へヒッチハイクで向かう。パーキングエリアで同じくトラックに同乗する遊び人風の男をつかまえ、赤井英和演じる運転手のトラックに乗ることになる。いまだに思うけど、深夜の高速でヒッチハイク成功をさせるやつは学校なんか行かなくて良いし、その時点で自分の息子だったら、もうこいつ大丈夫だなーと思ってしまう。ただ、雨降る夜のパーキング、高速を走るトラックの車内、たどり着いた朝方の路上の情景は本当に寂しくて、いつまでも忘れられない。一人でお使いにも行ったことがない小学四年生の自分にとって、大介の旅はまるでファンタジーだった。ライブに向かう途中に立ち寄るパーキングエリアで、時々このシーンを思い出す。多分自分は音楽をやっていなかったら、おそらくいまだに地元から出ることのない人間だったと思う。音楽のある旅には、常に僕に付き添うなにかがいる。人や音楽をやる場所はもちろん、音楽、歌、そのものだったりもする。大介に付き添うものはなんだっただろうか。
山田洋次は幼少期、満州から引きあげた経歴がある。敗戦後、貧しさから弱者の側となった体験が、後に社会的逸脱者や流れ者を描く原点になったともいわれている。男はつらいよの公開当時、まだ戦後動乱の名残で寄る辺ない人、寅さんのような流れ者の存在はとても身近だっただろう。ときを経て、流れ者はどこへ行ったのだろうか。山田洋次の学校シリーズでは、夜間中学や自閉症、そしてこの学校IVにおける不登校などをテーマに、学校という一つの箱庭、試験紙を用いて、社会の歯車に組み込まれない人々がどのように生きるかを描いているように思う。男はつらいよで喜劇的に描かれた逸脱に、よりシリアスに焦点を当てたのがこの学校シリーズで、ロードムービーとして構成されたこの学校IVは、山田洋次が2000年当時に見た、現代のフーテンの姿だったのだと思う。
ギター弾き語りを始めた頃「流しのにいちゃん」と称されたり、それ風を求められたりすることがごく稀にあったが、今流しをやるのはとても難しいと思う。文化が盛んだった頃にも趣味趣向の違いはあっただろうが、ある程度最大公約数的な、共通概念としての流行歌があったと思う。2020年代にさしかかろうとする今、音楽のジャンルはものすごく細分化していて、一見王道に思えるJ-popも、ネットを含め実際に若い人が聴いている音楽を総じて俯瞰すると、一つのコアなジャンルに思えてくる。
歌手として、流し的な歌心や聴衆への向かい方には学ぶべきことが多い。ただ、それと同じ形をとっても、必ずしも本質を継承することには直結しないと思う。その昔、流しが向き合った聴衆、情景、自分自身は、今どこにあるのか。何か違う形で受け継がれたものに触れた時、人は「あ、流しだ」と簡単には気づかない。一人の表現者が自分の心に決めた課題に向き合うとき、それは当然時代によって姿を変え、小四の僕のように、初めて直面する混沌に迷う人に、新たな道を示すのだと思う。2000年当時の山田洋次は、きっとそれがわかっていた。
深夜のパーキングエリアで自分を連れて行ってくれる人を探している大介は、父親を殴り、柴又を飛び出してフーテンの旅に出たいつかの寅さん。そして大介の倍の年齢を生きて音楽に連れられ旅をする僕。でもヒッチハイクはしんどいな。
折坂悠太(おりさか ゆうた)
平成元年、鳥取生まれ。千葉、時々外国育ち。ギター弾き語りによる独奏、バンド編成の合奏、重奏で歌手活動中。2018年にリリースしたアルバム「平成」がCDショップ大賞を受賞。独特の歌唱法にして、ブルーズ、民族音楽、ジャズなどにも通じたセンスを持ち合わせながら、それをポップスとして消化した稀有なシンガー。