知らなくてもいい、気持ち悪いという幸福
住本尚子
雨は降る、というよりも、遭遇だ。
それは、私が天気予報を見ないからだし、私の叔母は、雨が降りそうな匂いがする、なんて言って本当に雨が降り始めたりする能力を持っているのだけど、そんな力も私にはない。
だから、わたしは折り畳み傘を五本、少なくとも持っている。
昨年は、靴底がすり減りすぎて穴が開いている靴で出かけ、不意に雨に遭遇し、足が何度もビショビショになった。歩くたびにジュワンジュワンと空気を含みながら靴の中で雨水が音を立て、靴下は重みを増し、幾度も脱ぎたい衝動に駆られながらも、我慢した。その時の感情は、間違いなく、気持ち悪い、だ。
傘をさしていたとしても、傘は豪雨にはほとほと無力で、お洋服はビショビショ。あの、布と皮膚の間にぬけぬけと浸ってくる雨。布が薄ければ薄いほどそれは皮膚にピタリと寄り添い始め、ああ、わたしは衣服を身に纏っているとはいえ、普段は空気があるから居心地が良いんだな、と気付かされる。雨のせいで、急に衣服が急接近なのである!
雨により、急接近して、非常に気持ち悪い映画がある。エリック・ロメールの『クレールの膝』だ。
主人公のジェロームは結婚を期に、少年時代を過ごしたアヌシー湖畔のタロワールにある別荘を売り払おうとやって来る。そこで、友人の女流作家のオーロラと偶然会う。オーロラは、幼友達のヴォルテール夫人の家で部屋を借りて、小説の執筆をしていたのだ。
そして、小説の題材という名目で、ジェロームは、ヴォルテール夫人の娘であるオーラと親密な関係を築き始める。オーラの年齢は定かではないが、中学生か高校生で、ジェロームはむさ苦しいほどの髭を蓄えているおじさんなのだから、二人がイチャイチャするシーンも、なかなかのものである。
しかし、タイトルにもあるクレールが現れた時、この映画はよからぬ方向へと動き出す。
クレールはオーラの血の繋がらない姉妹で、仲は良いらしい。オーラの母であるヴォルテール夫人の再婚相手の娘がクレールで、しかし、その再婚相手とも離婚したらしいから、少しややこしい。しかし、このややこしさはさほどこの映画には関係ない。
クレールの身体つきに魅了されるジェロームが、ふと、クレールの膝に触りたいという欲望に目覚めるから、そっちの方がややこしい。
クレールにはジルという恋人がおり、終始仲良さそうにしているのだが、他の女の子と親密にしているところを、ジェロームが発見する。一度見て、望遠鏡で再度確認するほど興味深々だ。
そして、ジェロームは買い物をするついでと言って、クレールをボートに乗せるのだが、雨が降り始め、二人は雨宿りすることになる。
クレールはジェロームが好きではないらしく、ジェロームの言葉に耳を貸さない。しかし、ジェロームは、ジルが他の女の子といた事を告げ口し、クレールは泣き始めてしまうのだ。可哀想なクレール…
するとジェロームは、慰めるふりをして、クレールの膝をなで始めるのだ!なでなでなでなで…なでなでなでなで…
雨が止むまで、ジェロームはひたすらにクレールの膝をなでなでするのだ!これがとっても気持ち悪い!
しかし、クレールは、特に拒否をすることもなく、なんなら泣き止みそうな感じで、異様でシュールな映像をこっちは見せられるのだ。
雨の日のあの布がまとわりつく感覚は、雨が降らないと、意外と思い出せなくて、気持ち悪いとはいえ、本当に嫌いなら、わたしは穴の開いた靴は履かないだろうし、天気予報もちゃんと確認するだろう。
しかし、あの気持ち悪さは、時々出会う、ちょっとした出来心なのだ。また気持ち悪いことになったわ〜と言いつつ、家に帰った時、多少ニヤついてしまうのは、膝なでなでをひたすら見ている時の気持ちと似ている。
気持ち悪いという感情は、一見関わりたくない感情の様な気もするが、気持ち良いと表裏一体で、感覚が揺さぶられ、普段の生活では感じ得ない感覚が蘇る。
二日酔いなんて絶対したくないけど、驚くほどに身体が優しいものを欲したり、吐いた後の気持ち良さなんかは、知らなくたって人生においてなんら差し支えないのだが、知っていると面白い。
ジェロームがクレールの膝をなでなした後の、あの清々しい顔ったら!
オーロラにその成功談を話す時も、なかなか気持ち悪いのだが、気持ち悪さを通り越して、気持ちいいのだ。
その、包み隠さない開けっぴろげな態度が、雨の湿り気を忘れさせるみたいな、そう、除湿器買っといてよかったわ〜なんやかんやで、みたいな、どうでも良い幸せを感じさせるのだ。
雨を口実に得られた幸福は、幾度となく、わたしにも、あなたにも、ひょんな事で現れると思う。
大きい小さいは関係なく。それが、知らなくてもいい幸福だとしても。