帰り道に突然の雨に遭遇。どこかで雨宿りしなきゃと思ったとき、気になってたけど、いままで入ったことのなかったお店の前に来て、ここにしようと飛び込んでみる。
口の大きな天使、日曜日の雨
「ねえ、雨が印象に残る映画ってなにがあるかな」「どんな雨?」「どんな、って言われても雨は雨だよ」「いや、雨には種類がある。どんな雨が具体的に言われないと答えられない」「うーん、じゃあアジアの雨かな。こっちに引っ越してきてまだ半年だけど、もうイギリスの雨には飽きたから。」雨が降ったりやんだりする日曜日の昼過ぎに、天使という名前の街に住む人とこんな会話をする。
匂い立つ記憶
雨の日は、土や草木、アスファルトなどの匂いが普段よりも増して強く感じられる。「雨の匂いがする」とよく言うけれど、それは雨そのものの匂いではない。晴れの日には感じることのない、気にも留めない、または忘れ去られてしまったあらゆるものたちが雨に濡れることで、その存在を主張するかのように匂い立つのが雨の匂いなのだ。
知らなくてもいい、気持ち悪いという幸福
雨は降る、というよりも、遭遇だ。それは、私が天気予報を見ないからだし、私の叔母は、雨が降りそうな匂いがする、なんて言って本当に雨が降り始めたりする能力を持っているのだけど、そんな力も私にはない。だから、わたしは折り畳み傘を五本、少なくとも持っている。
やさしい気持ち
小さいころは自分だけの世界にいる時間がいまよりもずっと長くて、神様もいた。いや、神様と言ってしまうのは正確ではないかもしれない。わたしはしばしば生物よりも無生物に憐れみの感情を抱いていた。ベランダの手すりとか、立体駐車場のボタンの機械とか。そして、雨が降るとちょうど「かさじぞう」みたいな感じでそういう物に傘を差したり、タオルで拭いたりしていた。
前に進まなくてもいい
冬はただでさえ寒くて、布団から出るのも億劫なのに、その上雨なんて降ったらどうしようもなく外へ出掛ける気持ちが失せる。このまま永久に、雨の音を聴きながら、布団でコーヒーを飲みながら本でも読んで、夜になったら酒でも飲んで、ずっとぬくぬくとした狭い部屋の中にこもっていたい。