ナポリタン、コーラ、チョコレート・パフェ、ライチ
こばやしのぞみ
ファミレスに行くと何を注文するか全然決まらない。ファミレスのメニューには実物よりもボリューム感のある料理の写真、傍らに価格とカロリーが書かれていて、わたしはそれらの写真と数字を睨みつけながらその時々の自分にとって一番ちょうどいい点を探す。ファミレスのわたしはおなかを空かせていて、お金がなくて、太るのが怖いのだ(後ろ二つは、他の店で食事するときには忘れていることもあるのに、ファミレスのメニューによって呼び起こされてしまう)。注文したあとにもメニューを見返してこっちにすればよかったかなとかこれもおいしそうとか思いながら、料理が運ばれてくるまで何となく落ち着かない。
『Helpless』で浅野忠信が演じる健次は、ファミレスではナポリタンとコーラと決まっている。決まっていると言ってもこの映画でファミレスは2回しか出てこないが、2回ともナポリタンとコーラだし、喫茶店でもコーラを頼んでいるし、何より健次はそういう人だと思う。ファミレスでメニューを見ながらあれこれ悩んだり、健康のためにとサラダセットを注文したりしない人。そういえば、ファミレスじゃないけど高校生のときに働いていた店で、たいてい平日の夕方に来て、決まって「ポテトSとミルク」を注文する女の人がいた。わたしはそれをいいなあと思っていた。なんか決まっている人はかっこいい。Sサイズのポテトやミルクを注文する客なんてあんまりいなかったし。
健次がナポリタンとコーラなら、彼と行動を共にするユリちゃんはチョコレート・パフェと決まっている。しかもそれを食べないことまで決まっている。彼女はチョコレート・パフェがきれいだから注文するのであって、食べるのはもったいないと言う。理由はぜんぜん違うだろうけれど、チキン・サンドイッチを注文しておいて全く手をつけない『フラニーとズーイ』のフラニーのことを思い出す。食べないって美しい。
『Helpless』は1989年9月の北九州におけるある一日を描いているが、この日、映画の人々は死んだり殺されたり、死に損なったり、殺しそびれたりする。そこで健次があれこれ悩んだりしないで行動し続けるのはもう、そうするしかないからで、9月に入っても続く茹だるような暑さの中、人生が同じことの繰り返しであること、そして終わらないということを彼は悟り、諦め、ユリちゃんを連れて街から去っていく。健次は、自分の運命が決まってしまっていることをすでにわかっている。ファミレスでメニューを見ながらああでもない、こうでもない、と呑気に考えている奴らとは全然違うのだ。だけど、銃とか、ドラッグとか、切り取られた片腕とかが持ち込まれたところで、ファミレスは何も変わらない。ファミレスは日常の象徴であり続ける。本当のところ、誰も何も気にしてなんかいない。みんなが何食わぬ顔をしている。
ところで『Helpless』に出てくるファミレスは「フォルクス」だが、わたしは子どものころ「フォルクス」が大好きだった。サラダバーにライチがあるからだ。「フォルクス」はステーキハウスのはずだけど、肉を食べた記憶はほとんどない。いつもデザート用の皿にライチを山盛りにして食べていた。「フォルクス」には今もライチあるのかな。