犬の気分
こばやしのぞみ
12月に入ってから、今年を振り返るみたいな会話を何度かしているけれど、わたしには一年という単位で記憶を区切るのがもう難しくて、何もかもがいつのことだったかわからなくなっていると感じる。夢でみたことなのか現実で起きたことなのかわからないこともけっこうある。でも一年のムードみたいなものはなんとなくある。
先日、人と2021年は犬の年って感じだった、という話をしていた。なんでですかと聞くと、その人は説明するのむずかしい、頭のいい人だったらうまく言葉にできるのかもしれないけれど、というようなことを言っていた。それで、わたしにとってはどうして犬の年だったんだろうと帰りの電車で考えていて、『ドライブ・マイ・カー』と『ウェンディ&ルーシー』からの影響があるかも、と思い出した。犬と女の人が相棒みたいに出てくる映画。『ドライブ・マイ・カー』のみさきも、『ウェンディ&ルーシー』のウェンディも、孤独で、生きるために移動を続けていて、彼女たちのそばには賢そうな大型犬がいた。みさきやウェンディが犬と心を通わせている様子に、彼女たちのさみしさが見えるような気が一瞬したけれど、でもそれって人間のことしか考えていないなと思い直した。犬の記憶はどうなっているんだろう。ルーシーはウェンディのことをずっと覚えているだろうか、覚えているっていうのも、どういう感じなんだろう。たまに思い出したりすることがあるのか、それとも普段はすっかり忘れていて、彼女の声や匂いによって全ての記憶が蘇ったりするのか。犬はどういう風に時間を捉えているのか。わたしは犬を擬人化したようなのはあんまり好きじゃなくて、犬は犬として、犬の情緒でいてほしい。いてほしいっていうか、そういう情緒があるということをただ認識したい。
なんかもう喋りたくないって思った。それから、これはずっと思っていることだけど、もう時間を直線的に捉えるのをやめたい。一瞬でも美しい関係があったらそれが過去も未来も照らす光になるっていうことはあると思う、それがもしかしたら犬のやり方なのかもしれない。ずっと、どこか違う場所に行きたい、知らないところで暮らしたいと思っているけど、わたしは今年も同じところに留まり続けていた。でもどこにも行けないというわけじゃない。その時が来たら行く。