旅の気分で散歩する
こばやしのぞみ
ミカエル・アース監督『サマーフィーリング』は、三つの夏を三つの街で過ごす人々の映画で、彼らはある時は街の住人に、ある時は旅行者になる。
お互いの暮らす街を見てまわり、いなくなった人の痕跡をたどる、それは「旅」という言葉の持つ楽しげな側面にはそぐわない、ささやかな散歩のようなものだ。実際に彼らはそれぞれの街でずっと散歩をしている。歩くことで自分を世界につなぎとめようとしているみたいに、あるいはかなしみに留まりすぎないようにしているみたいに。
登場人物の一人が、彼女は生まれ育った街を出て(本人は街から「逃げて」という表現をしたと思う)ニューヨークで暮らしているのだけど、「どこにいても自分の居場所だと思えない」と言っていた。それはきっと、ずっと旅をしている感じなのだろう、その感覚は自分にもあるだろうか。
エンドロールのベン・ワットを聴いていて、岡崎京子が横浜について書いた短いエッセイを思い出す。横浜という街は自分にとってはとぼとぼ歩く、というイメージと結びついていて、ひとりでいても友達といてもとぼとぼ歩いている感じがある、横浜へ向かう東横線の中でベン・ワットに似ている男の子を見かけて好きになった、今はエブリシング・バット・ザ・ガールをうまくやっている彼だけど、何か大切なものが詰まっている秘密の引き出しみたいな「ノース・マリン・ドライヴ」が自分は大好きだ、みたいなことが書いてある。
わたしは生まれてから19歳まで横浜に住んでいて、今も毎日通っているのだけど、自分の居場所、みたいに感じることはあんまりない。だけどその街のことはとても好きで、それはいつでも旅の気分でとぼとぼ歩けるからかもしれない、と気づいた。『サマーフィーリング』でロレンスやゾエがしていたみたいに、大切なひとが訪ねてきたときに連れて行きたいところはあるかなあ、と考えてみる。この夏はとにかく散歩を続けようと思った。