だれでもしっかり見ているよ
こばやしのぞみ
平日の昼間に街をぶらぶらするのが好き、馴染みのない街だと更にいい。その時だけは、何にも関係のない自分になれる気がするから。街の天使の、あるいは街の幽霊の気分で歩き続ける、わたしはそのままいなくなってしまいたい。用もないのに地下鉄やバスに乗って移動し続ける。カメラを持っているわけでもないし、自分がほんとうに誰の目にも留まっていないように思える。
シャンタル・アケルマンがニューヨークの街の風景を記録した映画『家からの手紙』を撮ったのは1976年の夏。彼女が故郷のブリュッセルを出てニューヨークでふらふらと暮らしていた1971年からの約三年の間に歩き慣れた場所で撮影が行われたらしい。カメラは路上で、または地下鉄や車の中から、街をとらえる。人々はカメラをちらちら見たり、指差したりするが、話しかけてはこない。街の中を歩き回りながらも、常に外側から街を見ている感じがする。
映像には、アケルマンが手紙を読み上げる声が重ねられる。それは、アケルマンの母ナタリアが、かつてニューヨークで暮らしていた娘へと送ったもので、家族の近況報告や、娘を心配する気持ち、荷物を送ったという報告、手紙の返事が来ないことへの不満、アケルマンの脚本を読んだ感想などが綴られている。
ナタリアからの手紙は様々な話題でにぎやかに埋め尽くされているけれど、何かが欠けているような気がする。それは、わたしが自分の母のことを考える時に感じる、少しのさみしさと通じるところがあるかもしれない。言葉を尽くしても辿り着けない部分が母の中にあると思う、いつかもっと鋭い感情の発露を見た記憶があるから、でもそのことについて話す機会がもうない。時間はあっても機会がもうない。そのことのさみしさ(というか、罪悪感?)。
ナタリアはポーランド系ユダヤ人で、かつてアウシュビッツに収容されたことがあるが、その経験を娘には一切語らなかったという。晩年に撮った『ノー・ホーム・ムーヴィー』には、ナタリアの本当の声を聞いて、その記憶を残そうとするアケルマンの姿が映っている。その他にも、多くのアケルマンの作品には母の苦しみの影が見える。アケルマンは母との関係の中で映画を撮り続けたのだと思う。
一方で、母の手紙、つまり母の愛情に縛られずに自由になりたい、という気分もたぶんあったのだろう。マンハッタンを離れていく船から撮影された『家からの手紙』のラストシーンでは、街から遠ざかると同時に、母の言葉からも遠ざかっていく。それでも、母からは逃れることができない。家からの手紙が途絶えたら、どこにも行けなくなってしまうだろうから。