白い大きな犬が怖い
上條葉月
どうしても今月の「犬」についての文章が思い浮かばなくて、ずっと悩んでいる。なんで犬が出てくる名作映画はいっぱいあるのに何も書けないのだろう。犬に思い入れがないのかな、と思ったのだけど、私にとって犬はよくわからない存在だからかもしれない。
犬を飼ったことはないけれど、小さい頃はとても好きだった。でも幼稚園生の頃、友達が飼っていたミニチュアダックスフントと遊んでいて、同じ公園にいた白い大きな犬に頭突きをされて気を失ったことがあるから、いまでも白い大きな犬が怖い。
大きい犬といえば、私は小さい頃『動物のお医者さん』という漫画が大好きで、そこに出てくるシベリアンハスキーでの犬ぞりに憧れていた。主人公が飼っているシベリアンハスキーのチョビは温和な性格だと思われているけれど、実は怒りたくても怒るタイミングがわからないのだ、というエピソードがあった。私はそれを読んだ時にチョビの気持ちがわかるなあと思った。でも、犬の気持ちに共感したことなんて、その漫画のなかだけの話で、現実に街中で出会った犬の気持ちなんて私にはさっぱりわからない。
白い大きな犬が怖いので、初めて『ホワイトドッグ』を見た時、この犬だ、と思った。黒人だけに襲いかかるよう調教された攻撃犬と、自分に頭突きした白い犬のことが重なった。
別に私に頭突きした犬は、私を傷つけようと思って頭突きしたわけじゃない、と思う。知らないけど。多分、小さいダックスフントが戯れているのと同じように遊ぼうとしたけど自分がもっと大きくて力が強いというのがよく分からなかった、というだけじゃないか。ホワイトドッグの犬とは全然凶暴さが違う。
でも、凶暴さの問題じゃないのだ。私が怖いのは。
例えば通りすがった犬と目が会うとき、私の何を感じ取っているのだろう、と思う。犬が何を考えているのか、私たちにはわからない。犬の表情や鳴き声で感情はわかる、という人もいるかもしれないが、私にはそれは人間が分かる範囲の感情に当てはめてみただけにしか思えない。だって感情って理屈通りに説明できるものじゃないじゃん。犬の気持ちのあり方は、もしかしたら人間の持ってる感情とかの感覚とは全然別で、共感なんてしようがないのかもしれないし。
間違ったことを正そうとしても、正しく伝わっているのかどうかわからない。だから怖い。ホワイトドッグは、黒人に襲いかかるよう調教されているが、黒人調教師の手でどうにか黒人を襲わなくなるような訓練に成功する。だが、今度はその過程であえて嫌われ役をやった白人調教師の方に、襲いかかる。黒人調教師からしか餌をもらえなかった結果、今度は憎む対象が変わったというだけだ。人間相手だったら通る理屈が、犬には伝わらない。
でも、犬のことをわからないと言いつつ、私だってホワイトドッグが黒人を憎むのと同じくらい理不尽な理由で、白い大きな犬を怖がっているのだ。犬からしたら私の方が理解不能な反応を示しているのかもしれない。