今の家は外国みたいな小さい謎のバルコニーがついている。そこからの景色が見晴らしが良くて好きだ。特に雲ひとつない晴れた日の新宿のビル街が良い。なんだかぺらっとして、書き割りみたいに見える。
媒介
昔好きだった人にポストカードを送ったら、数週間後のある日ポストに返信が入っていた。今でも家にあるはずだけど、私は物を大切にするとか、きちんと整理することができないので、もう滲んでしまって読めない。
ベッドから出なくても負けません
布団から出られない時が結構ある。眠いわけではないがめんどくさくて動けないというか。それでは生きていけないので、もうパソコンや資料、必要なものは全部ベッドに置きっぱなしで、布団から出なくても仕事をできる状態にした。
もう存在しない旅
2020年にフランスに行った時、ジャン・ジュネのタイトルでしか知らないブレストという町に行った。現地の人の車に乗せられるがまま、気づくとあたり一面畑の中の田舎の馬小屋にいた。
終わり、そして人生はつづく
2021年は2020年よりもずっとよく分からなかった。今もよく分からないからうまく書けないのだけど、それは日常に対する姿勢みたいなものだと思う。多分去年はまだどこか世界が変わってゆく中で、「でもこんな状況では誰もわからない、うまくできなくて仕方ない」という投げやりな気持ちと、滅亡に向かっているとしたらそれはそれで、どうせみんな一緒だという安心感があった。要するに、いろんな考えることを放棄していた。
じゃがいもはすごい
小さい頃、マクドナルドのポテトフライが好きで、週末になるとよく家族で昼ごはんに近所の店で買ってきて食べた。ポテトフライが好きだったのか、ハッピーセットのおもちゃが欲しかっただけなのかは分からないが、三つ子の魂百までというか、成長してもずっと週末のお昼といえばマクドナルドになってしまい、それは高校生でマクドナルドでアルバイトをしている間に油の匂いに耐えられなくなって食べたくなくなるまで続いた。
(酔ってむかえた朝の日記)
ツァイ・ミンリャン『日子』を観た。中盤に廃墟のビル(なのかもよく分からない)のカットがあって、しばらく眺めていても、なにが写っているのか分からなかった。
距離
実家に行くたびに食洗機が導入されていたり、私の部屋が母の部屋になっていたり、トイレがウォシュレットになっていたり、そういう変化にも驚くが、とりあえず冷蔵庫を勝手にのぞくと変わらずいつも色々入っていて、それはそれで毎度驚く。
遠くから聴こえる歌
パトリシオ・グスマンの『チリの闘い』を見たのは2016年の秋だった。満員のユーロスペースで。あの映画を観てからずっと、社会主義政権の支持者たちが歌っていた「大丈夫 アジェンデ 私たちがついている」という歌がいつまでも耳にこびりついている。
いつか映画館で会うひとへ
ウィリアム・キャッスル監督の『ティングラー』という映画。人の恐怖が生む怪物「ティングラー」がうっかり映画館の中に放たれてしまう。当時、劇場ではいくつかのイスに座った人の座席に電気が走り、ビリビリっと来て脅かされる、という演出をしていたらしい。まるでスクリーンの向こうの映画館から現実の映画館へティングラーが飛び出してきたかのように、スクリーンの外の安全な位置から覗いていたはずが恐怖がこちらへやってくる。
水平線の向こう
フランスの北部、ノルマンディーのほうに、ディエップという町がある。行ったことはないけれど、ディエップの浜辺のことを私は何度も映像で見た。ジャン・ローランの多く映画に登場するからだ。
絶望的な時代のための映画
2019年8月、引っ越しにまつわる色々で自分の社会的信用のなさに絶望した。身分証やパスポートをなくしていたので再発行しなくちゃいけないとか、フリーランスだから収入証明できなくて審査がうんぬんとか、いろいろ。 そんな中でハーモニー・コリンの『the Beach Bum』に出会って、そんなくだらないことに悩んでいるのがバカみたいだと思った。
ミルクを飲む女
新宿駅と渋谷駅、それからもう少し西側の、少し前までは京王線沿い、今は小田急線沿いにある自分の家を路線図上で結ぶとだいたい三角形が出来上がって(前は左に転んだ細長い二等辺三角形、今はだいたい正三角形というところ)、この数年の私の生活はほとんどその三角形の中に収まる。渋谷か新宿に出ればだいたいのことが足りてしまうので、山手線を東に越えることがほとんどない。
白い大きな犬が怖い
どうしても今月の「犬」についての文章が思い浮かばなくて、ずっと悩んでいる。なんで犬が出てくる名作映画はいっぱいあるのにどうして何も書けないのだろう、と思ったのだけど、私にとって犬という生き物がよくわからない存在だからかもしれない。
スラッカーによる雑記
リンクレイターのデビュー作『スラッカー』は、タクシーに乗った青年が運転手に夢について語るシーンから始まる。彼の話はこうだ。選んだ考えも選ばなかった考えも同様に現実になる可能性がある。選ばなかった道にも人生が待っている。だけど人は1つの現実しか生きられない。だから選ばなかったものが夢になる、と。
取り返しのつかない、小さな瞬間
窓は外と内を隔てるものであるけれども、同時に鏡のような存在でもある。だから、窓の外あるいは内側を眺めるだけでなく、自分がいる空間を見ることもできる。よく電車の窓で髪を直す。家の鏡みたいに。その時にふとああ隣にこんな人が立っていたのか、と思うこともある。でも鏡と違って、ガラス窓はいたるところに存在していて、そして光を通すために作られたものであって反射させるためのものではないから、誰でも窓に映る自分の姿にそこまで自覚的ではない。
国道、オートバイ、断絶
自転車を買いました。半年ほど前から、お金ができたら買おうと思っていたのがついに買えたので、嬉しくって名前もつけた。ダホンの折りたたみ式ミニベロ、ぷーちゃん。甲州街道沿いの部屋から、渋谷のバイト先まで通勤しているけれども、地図の苦手なわたしでも迷わないくらい簡単な道のりだ。
感覚の記憶
わたしは記憶力には自信がある。いつどこで誰とこんな話をした、とか、この店には誰と行った、とか、この映画はどの映画館で見た、とか。そういう細かいことでも結構忘れない。
前に進まなくてもいい
冬はただでさえ寒くて、布団から出るのも億劫なのに、その上雨なんて降ったらどうしようもなく外へ出掛ける気持ちが失せる。このまま永久に、雨の音を聴きながら、布団でコーヒーを飲みながら本でも読んで、夜になったら酒でも飲んで、ずっとぬくぬくとした狭い部屋の中にこもっていたい。
クリスマスという無根拠な魔法
クリスマスといえば豪華で特別なイメージなのは確かなのだけども、金はないし貧乏くさい年末の忙しい時にどうして無理してクリスマスを祝うのだろう、とも思ったりする。