書き割りの世界
上條葉月
今の家は外国みたいな小さい謎のバルコニーがついている。そこからの景色が見晴らしが良くて好きだ。特に雲ひとつない晴れた日の新宿のビル街が良い。なんだかぺらっとして、書き割りみたいに見える。
昔から書き割りの風景が好きだった。美しい空を見て作り物みたいだと思ってしまうなんて野暮だし、おかしな話ではある。東京生まれで本物の大きな広い空を見た事がないからなのでは?と笑われたこともあるけど、田舎の広い空はちゃんと球体って感じがして、全然違う(もちろんそれはそれで綺麗だけど)。晴れた日の東京の空は、なんというか、平面っぽい。窓の外にすごく綺麗な大きな風景画、つまりは書き割りが広がっている感じ。
小さい頃、家にあったVHSで『オズの魔法使』を毎日見ていたので、今でも時々歩いている時に「Yellow Brick Road」を歌ってしまう。小学校に入ったばかりの頃は、ドロシーが家へ帰るために「黄色いレンガの道」をたどってオズの魔法使のいるエメラルドの都を目指すのを真似して、下校する時にいつも黄色い点字ブロックの上を歩いていた覚えがある。今思えば本当に迷惑な子どもで大変申し訳ない。
彼女がマンチキンたちに見送られ冒険へ飛び出していくショットは、黄色いレンガを歩き出す彼女の行く先に書き割りの山々と空が続いている。魔法の世界の空は絵で描かれていて、映画の中には作り物の美しい世界があるのだと子供心に魅了される一方で、この作り物の山々の向こうにエメラルドの都があると信じた。
作り物の世界と空といえば、『バクラウ 地図から消された村』が記憶に残っている。
ブラジルの村バクラウの上空を、楕円形の飛行物体が飛んでいる。冒頭、宇宙からの俯瞰の地球の映像から始まり、村が地図から消えたり、不穏だが奇妙で良くわからない出来事が続いていく。だからこれがUFOなのだと思わせる。
だが途中でこれはUFOではなく、高機能なドローンだと明かされる。UFOが現れても驚かないのに、むしろそれがドローンだとわかって驚いている自分に気づく。現実だったら疑いもなくドローンだと思うのに。空に浮かぶ謎の物体がドローンよりもUFOだと思えること、それが映画を見ているということなんだと思う。
『トゥルーマン・ショー』は本当に空が「作り物の球体」だった、という話だけれど、冒頭、謎の部品が落ちてくる空も真っ青だ。最後には自分が作り物の映画の世界にいるのだと知り、ヨットで世界の外へ出ようとする。彼は海を旅し、やがて書き割りの空に衝突する。彼の世界の果ては書き割りの空で、その向こうに現実がある。誰かが作った美しい空よりも、彼が扉の向こうで眼にする汚染された空のほうが、彼にとってきっと何倍も尊い。だからこそ、映画は本物の空を映さない。
書き割りは、私が今見ている世界は作り物だ、「映画」として創造された世界だ、と意識させる。映画を見ている時は、それが好きだ。
日中に雲ひとつない、書き割りみたいな新宿を見ていると、これは「現実」の空なのだろうか、という感覚にもなる。私たちが世界だと思っている現実は非現実的なほどに壊れているし、本当は誰かの悪夢の中に閉じ込められているだけなんじゃないか、と時々思える。
新宿は一方で私の生活の一部だから、家から見える絵みたいな摩天楼の中に人が生活していることも知っている。地面はゴミとゲロだらけで汚いことも。
窓や画面、フレームの向こうは、家の中から一方的に見ているだけじゃ全然実感がない。できればトゥルーマンみたいに自分の足で確かめに行きたいけど、実際に足を運べる場所・触れられるものには限界がある。手の届かない遠くの世界が書き割りみたいに思えてしまう瞬間は、どうしてもある。だとしても、書き割りの山の向こうにエメラルドの都があると想像できるなら、平面でしか知らない世界のことも知識を得ることで想像できるはずだ。