夜への歩み
澁谷浩次
物書きになりたい、なれるかもしれないと思い立ち、とっかかりが何も無いまま町の文房具店で原稿用紙を買って、詩のようなものを書き始めたのは16才の頃だった。当時の「DOLL」や「Fool's Mate」のような雑誌には「ミニコミ・サークル募集」「友達募集」などといった読者参加のページがあり、日本全国のミニコミ編集者が書き手を募っており、今では考えられないことだが、ほぼ全員の本名と住所が掲載されていた。急に大手の出版社に原稿を持ち込むような度胸も才覚も無いので、そうしたインディーズの出版物と関わりを持つことからきっかけが掴めるのではないかと考え、ある東京の文芸誌を作っている人に書いた詩を数篇送ってみた。
数日後、高橋さんという男性が東京から電話をくれて、詩を受け取ったことへの感謝を述べ、丁寧に感想を聞かせてくれた。今にして思えば高橋さんは20代の若者で、大学生か何かだったのかもしれないが、僕には立派な大人の編集者に思えたので、そんな大人と詩について語り合ったり、音楽や映画のこと、自分の話を聞いてもらえることに大変な興奮をおぼえたものだった。その後、高橋さんは僕の書いたものを自分のミニコミ(確か『J・NOESIS』という誌名だった)に掲載してくれて、出来上がった本を一冊郵送してくれた。この一件は僕を得意な気分にしたが、何よりも嬉しかったのは、高橋さんが「また作品を送ってください」と手紙を添えてくれたことだった。誰かから手紙をもらうという経験が、それまでに無かったのだ。
その後、やはり「ミニコミ・サークル募集」「友達募集」のページを頼りに手紙を出した人たちと、とめどもなく文通をすることになる。やりとりが互いに面白くないと思う人も居たので、手紙を送り合う相手は少しずつ淘汰されたり入れ替わっていったが、常時20~30人ぐらいは居たように思う。当時僕は北海道に住んでいたが、文通相手は全国津々浦々に分散しており、僕はそれらの人々に毎日手紙や原稿、時にはカセットテープを送り、相手も僕に同じものを送ってくれた。学業も仕事もまともに出来ずにいる、半ば引きこもりのような実家暮らしの劣等感の塊だった僕にとって、毎日のようにポストに届けられる手紙は、自分に興味を持ってくれている人たちが、自分の存在を承認してくれる唯一のものだったのだと思う。
その後、実家を出てバイトを転々としながら、住まいも仙台に移ったりして、文通友達よりも実際に普段会う人たちとの付き合いの方がいつの間にか優先されるようになり、あまり手紙は書かなくなってしまったけど、今でも映画を観ていて手紙が出てくると注意を引かれる。特にサイレント映画の場合は、手紙や電報が大写しになって、観客も登場人物と一緒にそこに書いてある文字を読む、要するに字幕カードに似た機能を持っている。ただし字幕カードは映像の中に割り込んでくる異物と言って良いような情報だけど、手紙の場合はカメラが撮影した映像なので、僕らは役者の顔や身体、背景の美術とか実景を観るのと同じように、手紙の文字を観る事になる。その手紙を持っている指先が一緒に写っていることもある。
手紙を写し出した映画の中で最近多大な衝撃を受けたのは、F・W・ムルナウが1921年に撮った『Der Gang in die Nacht』である(以下、ネタバレ全開なので先に映画をご覧になることをお勧めします)。
※F・W・ムルナウ『Der Gang in die Nacht』
https://www.youtube.com/watch?v=pD4Q998DxNw&t=3422s(画質は今ひとつですが英語字幕付き)
https://www.youtube.com/watch?v=jX8Kh97KYPk&t=2103s(画質は良好ですがドイツ語のみ)
真面目な医師が婚約者とのデート中に出会ったクラブの踊り子に走ってしまい、元の婚約者を振って結婚する。夫婦は移り住んだ街で、目を病んだ画家──『カリガリ博士』で有名なコンラート・ファイトが暗く演じている──に出会う。この画家と、元踊り子の妻が急接近するのを医師にはどうすることもできない。この妻が、退屈な田舎の専業主婦としての暮らしにフラストレーションを感じ、独り部屋で踊り狂う場面が素晴らしい。一方で、かつて医師が捨てた婚約者も傷心によって体を悪くしているが、医師が会いに行っても門前払いを食らう。医師は恋敵である画家の目を治療し、一旦は見えるようになるが、結果的には失敗に終わり、妻も医師の元を去って行く。
登場人物が誰一人として幸せになれないこの映画の結末は、再び盲目になってしまった画家が医師に宛てた手紙によって締め括られる。「少しの時間だったとしても、あなたは私に光を見せてくれた。私はそれだけで満足です。私は私の夜へ戻ることにしましょう」と書かれたその手紙は、画家自身のことを語っていながら、医師に捨てられた婚約者、妻に去られた医師、夫も恋人も失った妻──という他の人物の行く末にも当てはまる内容となっている。もうこれ以上治療しなくていい、私の夜へ戻っていくんだ、という静かな諦念の感覚が、粛々と綴られた書き文字の書体から伝わってくる。我々はこの感覚を、全てを失った医師と共に感受する事になる。誰かが読んでいるのでも、画家が医師に直接語っているのを傍観するのでもなく、医師の目を通して、文字通り言葉を受け取るのだ。
最後は、この手紙の映像と前後するように、死んでいく婚約者と医師のそれぞれのショットがクロスで示される。婚約者は画家の手紙のことなど知る由もない筈だが、まるで二人で同じ手紙を読んで死んだかのように見える。観客である我々も、手近にある紙の束を手に死んでいくほかない、という厳粛な気持ちにさせられるエンディングだ。
澁谷浩次
北海道生まれ。ソングライター。'98年に仙台を拠点とする音楽グループ「yumbo」を結成。'21年に初のソロアルバム『Lots of Birds』を発表した。喫茶ホルン、現実レコーズも運営中。